伽藍について

白山市指定文化財

天文年間(1532〜1555)に建立された大御坊惣道場が元になっており(詳細)、

今の伽藍は1880年(明治13年)4月、金沢別院鶴来支院を公称することになったのを契機として当地の門徒によって新たな本堂建立の願いがおこされ、翌年3月には仮御堂が建てられました。
明治23年(1980)、氷見大窪の宮大工藤原安貞(高橋重左衛門)を棟梁として「本堂十分一之図」が作成され、翌年10月から本堂の建設が始められます。

8年の工期をへて同32年に完成しました。


鶴来別院は面積360坪(1192平米)木造建築物では県内有数の規模を誇り、昭和2年刊行の「石川郡誌」では堅牢と評されています。

欅を主材とする入母屋造りの平屋建て桟瓦葺で、正面に一間向拝、桁行9間、梁間8間、落縁、豪雪地らしく屋根は勾配が急でたちが高い外観をしています。

内部は外陣や柵内、内陣等からなる真宗本堂の典型的な配置となっており、屋根とともに天井高が高いのも特徴となっています。

本堂の親鸞聖人の御影(肖像)は東本願寺の御影像同様、正面を向いたもので、東本願寺の本像の素材を混ぜた炭で衣が塗られていると伝えられています。

客殿前には昭和32年に、金沢の「本多の森」整備で撤去された、加賀藩筆頭家老・本多家の門「御殿門」を小堀酒造店の小堀外喜男氏が譲り受け、宮大工村西清二氏が工事に当たり鶴来別院に移築されました。

その後昭和62年9月に別院会館が建立され、2010年本堂の大屋根が修復されました。さらに2019年には客殿改築されました。

360坪の大伽藍は、それだけの人数の人が集う場所が必要だったからではないでしょうか?

元の元は寺院になる前は惣(寄り合う)道場でした。教えを求める方たちが寄り合う場でした。

本堂のたたずまいにその方たちの熱意と体温を感じずにいられません。